「空に鳥 森にけもの 川には魚を」 理念誕生の経緯

丹沢自然保護協会は、1960年(昭和35年)に設立された、全国でも古い方に属する自然保護団体です。

 

始めは「丹沢の自然を守る会」といいましたが、発展と共に1968年(昭和43年)に「丹沢自然保護協会」と名前を変えました。

2004年(平成16年)時代の変化に対応して、これまでの任意団体から法人化し、「特定非営利活動(NPO)法人 丹沢自然保護協会 として、

新たな出発を致しました。

 

設立者の故中村芳男は、戦時中からこの戦争は負けると予感し敗戦後、多くの不幸な子供や身を持ち崩す人々が出ると考え、対応を準

備していました。戦時中特高警察の拷問に耐え、終戦直後不幸になった人々と生活し、自立させるため、茨木県に土地を購入し農園を

開設したが土地の斡旋者に(お金を渡したのに受け取っていない)と欺かれ、多数の戦災孤児と居場所がなく頼って集まった方々を抱

えたまま無一文になりました。

この苦境を救ったのが神奈川県の林務課の課長でした。丹沢札掛にあった雨露の凌げる作業小屋と炭焼きの仕事を世話してくれました。

 

 

苦難を乗り越えて丹沢の札掛に入植し作業小屋を「丹沢ホーム」と名付け、戦争孤児と戦争によって不幸な立場になった人々と共同生

活を始めました。

当時関東大震災の影響で札掛の川には魚がいませんでした。養魚場を作り川に魚を放したり、カジカガエルをポケットに入れて持ち帰

り川に放すなど子供たちの喜ぶ努力をしました。

厳しい生活環境にも関わらず、数十名の子供達や身を持ち崩した大人たちが立ち直って独立していきました。

その中で「空に鳥 森にけもの 川には魚」のいる自然が自然であるという当たり前のことが、人が生きていくために、特に子供たち

にとって大切なものだという信念を持ちました。このことが、いつでも私たちの考えの原点です。

現在の国民宿舎「丹沢ホーム」という名前はこのような経緯を引き継いだものです。

 

金もなく、組織もなく、票にもならないにも関わらず、当時の知事、県議、県の職員、一般市民(登山者、釣り愛好家、志に賛同された方)

など多くの方々が中村芳男さんの意気に感じ、支援してくれました。

誰でも心の中で戦後の日本のこと、特に子供たちの将来を思っていた時代で「人生意気に感ず」という言葉が生きていた時代でした。

経済成長に伴いお金が全てになり消えてしまった言葉です。

 

写真1:作業小屋遠景  写真2:丹沢ホーム玄関   写真3:炭焼きの様子