丹沢の自然環境と課題の紹介

1.丹沢の誕生

約1,700万年前、丹沢は南の海の海底火山として誕生しました。

その後、フィリピン海プレートの動きにのってゆっくりと北上し、約600万年前に本州に衝突して関東山地が隆起しました。

さらに約100万年前、丹沢の南側からやってきた伊豆半島の衝突により丹沢の隆起と侵食が起こり、その原形が作られました。

 

また、隣の箱根や富士山が噴火した時、大量の火山灰をかぶって、森林が大きな被害を受けたこともあります。

今でも表尾根の登山道等で火山灰の層を見ることが出来ます。

 

最後に大きな災害となったのが関東大震災で、今でも緑が回復していない崩壊地を見ることが出来ます。

ガレ場の崩壊を防ぐ砂防工事が今でも続いています。

しかし、たくさんの時間をかけながらも森やそこに棲む生き物たちは再生し豊な自然を作り上げてきました。

2.昔の丹沢の森

江戸時代より前、

丹沢のふもとはカシの木やシイの木などの照葉樹の緑に、

標高700~800メートルではモミの木に、

標高800~1200メートルではブナ・ミズナラやカエデ類などの原生林で覆われているのが普通でした。

 

それに加えて、川沿いの不安定なところや急な斜面ではフクザクラ、タマアジサイなど、

稜線部の風当たりの強いところでは草原や低木林が生えていて、変化に富んだ自然環境にあったと考えられています。

緑の森には、いろいろな種類の獣や鳥が、川には魚が住んでいました。

3.問題の始まり

3.1 山麓部の開発

戦後の高度経済成長時代から始まった人口の都市集中化と共に、

林や田畑であった山麓部は10万から20万都市に替わり、わずかに残 された山麓の緑地も住宅やゴルフ場に替わってい来ました。

山麓部の林や田畑の緑地が失われたことにより、

平野部の緑地を生活圏としていた鹿に代表される大型哺乳類は生活の場を奪われ、山の中に生活圏を移しました。

 

3.2 山の中の変化

今、丹沢の直面している問題は鹿の問題に集約されています。

昭和30年代まで、まだ鹿は山の中腹部以下に生息し、数も少なく、鹿の保護(禁猟)運動が行われました。

第二次世界大戦後、復興のためにたくさんの木が切られました。

特に高度成長時代(昭和30年後半から40年代)には山の木を全て切り倒す偕伐が行われました。

木を切った後には草原が広がり、鹿の餌が増えた事により、爆発的に鹿が増えました。

鹿は伐採地に植えたスギやヒノキの苗も食べてしまうため、林業保護のため鹿の駆除が課題となりました。

 

この問題の解決策として、植林地を防鹿柵で囲い、苗を鹿から守り植林が進められました。

鹿は餌を求めて山の稜線部と麓に進出しました。

山の上部に進出した鹿はブナ林の下草や笹を食べ尽くし、別な餌のあるところに進出します。

このため広い範囲の山を荒廃させました。

麓に進出した鹿は自然の緑地が少ないため、畑の農産物に被害をもたらすことになりました。

 

もともと鹿は草原に住む動物です。

縄張りを持たず、群れをつくり、大食漢で餌のあるところに移動します。

また狼による捕食や狩猟が行われても種が維持できるよう、年20%で増殖します(淘汰がなければ5年で倍になります)。

このままの姿で自然回復力の弱い山の稜線部に鹿が進出したわけです。

 

もともと山にいる動物の多くは、縄張りを持ち、生きていけるだけの餌のある場所を確保して自然と共生しています。

草原の生活を自然回復力の弱い山の稜線部に持ち込んだ鹿とどのように共生していくか、かわいいだけでは済まされない、

大きな課題を突 きつけられています。

4.さらなる問題

モミやブナを主体とした原生林を作る大木の立ち枯れが広がっています。

その原因は、大気汚染の影響、ブナハバチの大量発生などであることが分かってきました。

その他、ブナは水をたっぷり蓄えた土を好むことから、

下草が減ったり雪が減ったりして土が乾いてしまったことも原因の一つと考えられています。

5.今後起こりえる絶滅の危機

温暖化で植生が変化する以外に、動物たちにとって絶滅という大きな問題があります。

動物は、数が少なくなると絶滅の道をたどります。

これは近親交配を繰り返すことにより生殖力が弱くなるためです。

丹沢においても山の周辺が開発され、動物たちは山塊外部との交流の道が閉ざされ、

新しい血が入ってこなくなっています。

動物たちの生息域が分断され小さな個体群で孤立しつつあるのです。

放っておくと丹沢のツキノワグマなどの大型哺乳類は将来絶滅の恐れがあります。

絶滅を防ぐために、生息域が孤立しないように動物たちが移動できる緑地帯を作り、

それぞれの生息域をつなぐ事が必要です

6.丹沢の緑は神奈川県民の命を支える

木の根でしっかり押さえられた土はたくさんの水を含むことができます。

大雨が降っても、その水は地下にゆっくりと浸透して地下の水脈を 豊にします。

湧き出た地下水は、丹沢の名水として人々に喜ばれています。

その豊かな地下水は、川に豊かな水を流し続けます。

 

神奈川県民の飲む水道水は、そのほとんどが、相模川水系、酒匂川水系という、

丹沢の水を集めて流れている二つの水系から供給されています。

丹沢の緑は神奈川県民の命を支えているといってもいいでしょう。

 

山の木がなくなると、土砂の崩壊が激しくなり、ダムを埋めてしまいます。

それを防ぐため沢山の砂防ダムを作らなくてはなりせん。保水力が弱くなるため、渇水期の水量も減ってしまいます。

山の緑を守るということは、子供たちにきれいな水を残すという事でもあるのです。