丹沢自然保護協会は、1960年(昭和35年)に設立された、全国でも古い方に属する自然保護団体です。
始めは「丹沢の自然を守る会」といいましたが、
発展と共に1968年(昭和43年)に「丹沢自然保護協会」と名前を変えました。
2004年(平成16年)時代の変化に対応して、これまでの任意団体から法人化し、
「特定非営利活動(NPO)法人 丹沢自然保護協会 として、新たな出発を致しました。
設立者の故中村芳男は、第二次世界大戦後、苦難を乗り越えて丹沢の札掛に入植し「丹沢ホーム」を設立、
戦争によって不幸な立場になった人たちと共同生活をはじめました。その中で「空に鳥 森に獣 川に魚」
のいる自然が自然であるという当たり前のことが、人が生きていくために、
特に子供たちにとって大切なものだという信念を持ちました。
このことが、いつでも私たちの考えの原点です。
昭和30年代、 シカの狩猟解禁問題や森林の伐採など自然環境に影響が出てきました。
昭和35年から シカ問題、自然観察会を主に活動と平行して
昭和47年頃から登山ブームによるゴミの問題に取り組みました。
昭和40年代、 丹沢のシカの数は500頭以下と推定されていました。
昭和58年冬 大雪が降り、丹沢のシカが餓死し激減しました。
シカ猟解禁時期がまじかなため
昭和59年から、密猟監視ククリワナ撤去、県への対応の要望などのシカの保護活動に
取り組みました。
(環境の激変、全山皆伐による造林事業が行われ、
皆伐地に草が生い茂ったため、
シカのえさが豊富になり、シカが急増しました。
植林されたスギ・ヒノキの成長により、
草地が減少し、シカのえさが急減していきました。
えさを求めてシカが稜線部まで進出し自然破壊が起こりました)
平成に入り コリドー(緑の回廊)計画を推進し、植樹、間伐、崩壊地整備などコリドー(緑の回廊)作りに取り組んでいます。
(コリドーの目的、動物が孤立した環境で健全に種を維持していくためには、近親交配による遺伝子の劣化を防ぐため、
えさの量に関係なく一定数の生息数が必要です。緑の回廊で動物〔遺伝子〕の交流が図れれば、えさの量に合わせた
生息数でも種の維持が可能となります)
詳しくは、下記年表をご覧ください。
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